聞こえる人も聞こえない人も、一緒になって、ステージから手話のアートを届けよう。手話パフォーマンスきいろぐみが、旗揚げ20周年を迎えました!
「手話は、聞こえる人の心をもうつ、
素晴らしいアートだと思います。」代表 南 瑠霞
(手話通訳士/手話パフォーマー・コーディネーター)
「ろう者と聴者の文化が出会って
生まれた新しいエンターテイメント。それが手話パフォーマンスだ!」ろう者代表 戸田康之
(手話パフォーマー/ろう学校教諭/NHK手話ニュースキャスター)
南瑠霞の手話日記(ブログ)はこちら
「手話パフォーマンスきいろぐみ」の活動の流れ
手話は、空中に描き出した1枚の絵! この手話のアートを、多くの人に届けよう。自分たちが、手話の夢の配達人になろう!! そんな夢を描いて、手話パフォーマンスきいろぐみが発足したのは、今から、20年前、1989年のことでした。
当時、聴者2人・ろう者1人で始めた活動も、現在では、キャストが30人。うち半数がろう者。
スタッフも10人が集まる大所帯となりました。
小さなライブハウスで、ほんの20人のお客さんたちとともに始めた手話パフォーマンス活動が、いつしか、渋谷ハチ公前の路上ライブとなり、子供むけの手話歌などのDVDとなり、メンバーは、そのうち、歌手のモーニング娘。や、ケミストリーの手話指導をさせてもらうようになり、時には、「オレンジデイズ」や「ラブレター」などのテレビドラマ、また、ハリウッド映画「バベル」の手話指導なども手掛けるようになりました。
現在、私達は、手話の歌を中心とした手話ライブ、歌とお芝居を盛り込んだ手話ミュージカル、手話による朗読劇、子供ショーなどで、全国を回っています。
演目は、すべて手話と音声付き。聞こえる人にも聞こえない人にも同時に楽しんでいただけるよう工夫を凝らしながら演じています。でも、私たちは、福祉やボランティア団体ではありません。手話の映像的な魅力を、ステージからお伝えするためのアート集団として、手話パフォーマンスに取り組んでいるのです。
手話は、多くの人に夢を与える一つのアートだ!! そう信じて、一歩ずつ続けてきた活動が、今、20年となりました。あなたも、ぜひ一度、私たちの手話ワールドを覗いてみてください!!
「手話パフォーマンスきいろぐみ」とライブハウス「クロコダイル」
手話パフォーマンスきいろぐみが、1989年小さなライブハウスで手話によるステージ活動をはじめ、その後、渋谷にライブ拠点を移したのは1997年のこと。米米クラブなども輩出してきた有名なライブハウス渋谷「クロコダイル」で、10人以上のメンバー全てが、手話で歌い手話で語り、『通訳をはさんで』ではなく『自分達こそが手話で演じる!!』という姿勢を貫いた、全国で初めての本格ライブを開催しました。
手話だから、ろう者だから、まじめに!! 手話なんだから、教育的に!? ろう者や手話をする人は心がきれい? ・・・ そんな世間の目を塗り替えたくて、お酒もある、夜遊びもある!!そんな、渋谷のライブハウスに、私達は飛び出しました。
私たちだって、恋もする、けんかもする、ずるい奴もいる、お酒も飲む、夜中だって騒ぎたい。聞こえなくたって、手話で話したって、自分達は普通の若者とみんな同じだ!!
それを実現したくて、渋谷の大都会のライブハウスで、私達は、歌って踊り続けてきました。クロコダイルは、手話パフォーマンスきいろぐみが「普通」であるための、小さな一歩を支えてくれた、私達にとって、大好きな場所の一つなのです。
当時、たった一本のオーディションテープを店長が見てくれて「いいじゃない。うちでライブやってみたら?」そう言ってもらったのがきっかけで、私達は、長い間手話ライブを続けて来ることができました。「手話ライブ」という言葉が広まったのも、このクロコダイルのきいろぐみ手話ライブからでした!!
クロコダイルは、ここまで、たくさんのミュージシャンやアーティストを、世に送り出してきました。クロコダイルが応援してくれたら、メジャーになれる!! そんなジンクスのあるライブハウスです。そんなところで手話のライブができるなんて!!その喜びは、今日この日も続いています。
きいろぐみの、第1回公演は、1989年12月17日(日)の午後でした。
この冬のクロコダイルライブは、ちょうどあの日から20年目のクリスマスに当たります。
きいろぐみの名前の由来
きいろぐみの「きいろ」は、太陽のコロナの色、ひまわりの花びらの色、金メダルの黄金色。
きいろは、エネルギーと輝きをイメージする元気色です。手話を通じて、多くの人に輝くエネルギーと元気をお届けしたいと願い、私達は、長年この名前で、活動を続けています。